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2011/10/18

10月18日 「ツキ板の日」



本日、10月18日は
ツキ板業界の新たな標石。




10月は、陰暦で「神無月」= 「鉋(カンナ)」+ 「突き(ツキ)」

昔は手工具である鉋(カンナ)で突いて削りだし、ツキ板を製造していたことから10月に。

18日は、「木」の字体から「十」と「八」に分離できることから18日、
とツキ板(=突き板)の原義に基づきこの日が制定されました。








思わず膝を打つこの語呂合わせ





ずっと続くものにはワケがある...

関連記事:
古のツキ板職人
ツキ板スライサーの歩み
ツキ板の起源



10月8日は「木の日」、18日は「ツキ板の日」
木材情報発信-毎日更新 中川木材産業提供




2009/02/18

ツキ板の切削の種類とロータリースライサー

切削方法によるツキ板の種別

単板(ツキ板)の切削は、スライサー、ロータリー、ハーフロータリーの切削機械によるものに種別されるが、スラライサー機によるものが最も一般的となっています。

その理由は利用範囲の広さをカバーできることと共に、原木からの木取りの仕方で任意の木目を得られることによると考えられます。


ロータリー単板(下ビデオ参照)は、天然木の木肌の変化を生かすために生まれたもので、歩留まりは高いとされています。

ハーフロータリー単板は両者の中間に位置する感じで、追柾と板目が作られるが、現在は逆ハーフ板目が一般的になっており、用途は比較的限られています。

他に縦突きスライサーもあるが、主に構造用の集成材用がその多くを占めています。

ビデオ後半にロータリースライサーがでてきます。



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2009/02/15

いにしえのツキ板職人 「桧物師」ひものし「指物師」 






ツキ板を使った象嵌細工





指師の技

指物とは「茶道具」「京箪笥」「京机」などの総称。
木目が美しく、軽い桐材を用い、木地仕上げをしたものを中心とし、漆絵、時絵、象がん(ツキ板を使った工芸的な細工)等の加飾をしたもの。
当時の指物は、奈良正倉院展の宝物として細密彫刻を施した儀礼用の物差し、琵琶などとして残されています。

上写真は奈良正倉院の代表的な宝物、「木画紫檀基局」(L49×h127cm)
聖武天皇ゆかりの基盤、異国情緒豊かなラクダ、霊獣、鳥、草花などのモティーフをツキ板を使って象嵌細工で仕上げられています。

奈良国立博物館・奈良正倉院展のHPはこちら

室町時代以降、武家生活の中で、棚類、箪笥類、机類の調度品への人気の高まりと茶の湯の発達に伴い箱物類など指物が増えたことから専門の指物師が生まれました。

こうした指物師は、建具職、宮殿師(くうでんし)、宮大工、桧物師(ひものし)、曲物師などともに大工職から分化した職人でした。




桧物師


















桧物師(ひものし)とは
※曲げ物(まげもの)をつくる職人

右図は江戸時代の桧物師。

曲物とは「ヒノキ」や「スキ」の薄板を、特殊な技法で円形・だ円形などに曲げて底をつけた容器の総称です。
曲物には、良質のヒノキが最上とされ、そのほとんどが、御岳山麓で育った、樹齢三百年以上のヒノキが使用されていたので「桧」を「物」にする職業の人=桧物師となりました。


「曲物」の加工技法
丸太の木口面にナタで割り目を入れ、ひき割また水割して、薄板を作り、削仕上げした後に、円形または楕円形等に曲げて、両端(まち)を重ね合せて接合し、桜皮を用いてとじ合せます。
 平城宮跡の井戸の中から、曲物の水杓や水桶が出土していることからもすでに奈良時代、日常生活に用いられていたことが証明されています。

 

「からくり箪笥」指物の技


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2008/11/13

日本のツキ板の発祥

ツキ板(突板)の起源を紐解くと、既に紀元前二千六百年前にその創造理念があったとされています。

それはエジプトのピラミッドの中に残されていた家具や小物入れに見られ、更にバビロニア、アッシリア時代からギリシャ、ローマ時代においても王朝の家具、壁面などに、中国では紀元前からツキ板貼りの工芸品が作られていたといわれています。


わが国では奈良朝時代に工芸が発達し、ツキ板貼りの工芸品が作られ、正倉院宝物の"紫壇木画双六局"などにツキ板が使用され、現在でもその美しさを保っています。

これらのツキ板貼りの手法は、当初は象嵌式の小型の細工に限られており、※箱根細工に見られるようなものでしたが、明治時代に入り、より大きな箱もの類が作られるようになりました。



箱根細工はこちら



日本では大正時代に入り、本格的にツキ板が普及し始めました。
大正初期、鏡台、針箱、長火鉢などの家具の表面材として黒柿、クワ、タモなどの厚さ三mm位のツキ板を化粧貼りしたものが使用されました。

当時の家具職人は自分でツキ板を作り、自分で化粧貼りし、これができないと一人前の家具職人とはいえなかったようです。

大正も半ば以降になると、これまで手鉋で突いていたツキ板を機械化して量産するため、木製のスライサー機の電動スライサー機も開発され、ツキ板も大型化していきます。




当時の木製スライサー








ツキ板製造も化粧貼りも大正初期までの家具職人の仕事でした。
今と違い何でも一貫製造だったんですね。



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2008/10/05

ツキ板スライサーの歩み



賤機清太郎氏が考案した
木製のツキ板機



手鈎てかぎで突いて作っていたツキ板を何とか機械化して量産しようと考案を重ね、賤機清太郎氏が木製のスライサーを作ったのが大正8年(1919)。

大正12年(1923)に静岡の服部機械製作所が、初めて鋳鉄製の電動スライサーを製造したと言われています。
当時の第一号機は、長さ75cmで静岡の鏡台の問屋での使用でした。

その後、昭和3年(1928)4月に東京の賤機ツキ板工業所と河内ツキ板工場に1.06mのスライサー機が一台づつ設置されました。

一方、大阪でのスライサー機の開発は少し遅れ、昭和9年に大塚惣太郎氏が、長さ1mほどの小型スライサーを開発し、薄さ0.3mm以下の「薄ものツキ板」の完成を見ており、翌年には8尺(2.4m)の薄もの用ツキ板スライサーも完成させ、1.8mのナラ柾単板(ツキ板)を作り上げることに成功しました。

ロータリースライサーはこちらをクリック


こちらのビデオもご覧ください。



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