2008/11/13

日本のツキ板の発祥

ツキ板(突板)の起源を紐解くと、既に紀元前二千六百年前にその創造理念があったとされています。

それはエジプトのピラミッドの中に残されていた家具や小物入れに見られ、更にバビロニア、アッシリア時代からギリシャ、ローマ時代においても王朝の家具、壁面などに、中国では紀元前からツキ板貼りの工芸品が作られていたといわれています。


わが国では奈良朝時代に工芸が発達し、ツキ板貼りの工芸品が作られ、正倉院宝物の"紫壇木画双六局"などにツキ板が使用され、現在でもその美しさを保っています。

これらのツキ板貼りの手法は、当初は象嵌式の小型の細工に限られており、※箱根細工に見られるようなものでしたが、明治時代に入り、より大きな箱もの類が作られるようになりました。



箱根細工はこちら



日本では大正時代に入り、本格的にツキ板が普及し始めました。
大正初期、鏡台、針箱、長火鉢などの家具の表面材として黒柿、クワ、タモなどの厚さ三mm位のツキ板を化粧貼りしたものが使用されました。

当時の家具職人は自分でツキ板を作り、自分で化粧貼りし、これができないと一人前の家具職人とはいえなかったようです。

大正も半ば以降になると、これまで手鉋で突いていたツキ板を機械化して量産するため、木製のスライサー機の電動スライサー機も開発され、ツキ板も大型化していきます。




当時の木製スライサー








ツキ板製造も化粧貼りも大正初期までの家具職人の仕事でした。
今と違い何でも一貫製造だったんですね。



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